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判例タイムズ

「判例タイムズ」(「別冊判例タイムズ16」)を購入した。これは交通事故の過失割合を決めるに際して、保険会社の実務でほとんど絶対的な基準として保険会社が交渉で使う、「査定担当者のバイブル」とも言うべき本のようです。遅ればせながら読んでみました。 前回、交渉で日本興亜が示した判例集の基準のページ(判例タイムズ16では142ページ)は「交差点における右折車と直進車との事故」の中の「信号のない交差点」のケースである。「交差点における右折車と直進車との事故」の冒頭部分(132ページ)には次のような記述がある。

     3 交差点における右折車と直進車との事故

車両等は,交差点で右折する場合において,当該交差点において直進し,又は左折しようとする車 両等があるときは,当該車両等の進行妨害をしてはならないが(法37条),上記の進行妨害とは,車 両等が,進行を継続し,又は始めた場合においては危険を防止するため他の車両等がその速度又は方 向を急に変更しなければならないこととなるおそれがあるときに,その進行を継続し,又は始めるこ とをいう(法2条1項22号)。したがって,右折車が右折を継続し又は始めれば,直進車が速度や方向 を急に変更しない限り両車が接触しあるいはその危険が発生するおそれがあるときは,進行妨害とな るから,右折車は直進車の通過を待たなければならないのであり,このような場合においては直進車 が右折車に対し優先関係にたつのは明らかである。(A)しかし,直進優先といっても,法36条4項による 注意義務が免除されるものではなく,具体的事故の場面では直進車にも前方不注視やハンドル・ブレ ーキ操作の不適切等何らかの過失が肯定されることが多い(B)したがって,基準では直進車にも上記の ような通常の過失があることを前提としている。

下線部で(A)は、前回判例集で私が批判した部分だ。次回改めて問題にしたいと思うがここでは不問にしよう。注意して欲しいのはその後の、下線部(B)の「したがって,基準では直進車にも上記のような通常の過失があることを前提としている。」とのくだりである。「前提としている」のであるから(当然のことだが、)「上記の ような通常の過失がない」場合は142ページの基準も含めそれ以降の基準はあてはまらないということだ。

日本興亜のFさん(とおそらく上司の方)は回答の中で、「私の過失」の根拠として「別冊判例タイムズ16」142ページの基準を挙げているように思われるが、その基準自体が直進車に上記のような通常の過失があることを前提としているのだから、これでは循環論法となり、私に過失がある「根拠」にはならない。私に過失があるというのなら判例タイムズ142ページの基準ではなく、事故の状況に即して「これこれの過失がある」とまず指摘しなくてはならない。違うだろうか。

日本興亜は私の質問に対する答えの中で「責任割合が0で無いことから直進車両の右折車両に対する安全運転義務(注意義務、回避義務、危険の予測等)が課せられているものと思われます。」と最後に書いている。「私の過失」の中身については何も具体的に答えていないが、「私の過失」もこれらの義務の中のどれかに違反するものと考えているように思われる。回避義務についてはすでに回避行動はとることができなかった(不可能だったの意味で)ことを認めているので、あとは「注意義務」と「危険の予測」ということになる。「注意義務」も「危険の予測」も衝突の危険に会う前の段階のことを言っているのはあきらかだ。「危険の予測」ということについては次のように言える。

 私は、右折しようとしてウィンカーを出しているBさんの車を視認したが、そこからBさんの車の横を通りすぎようとするまでBさんの運転に異常はみとめられなかった。したがって「危険の予測」は不可能であった。(危険を察知したときは回避行動をとる余裕はなかった。)仮に、Bさんがそこまでの運転でたびたび行っていた(と後でわかったこと)ようにセンターラインを超えるような運転をして私がそれを視認しておれば「危険予測」も可能だったかもしれない。また、明らかに不審な運転をしているのに私が気づかなければ「注意義務」に違反したと言えるかもしれない。しかし、左折を始めるまではBさんの運転に異常は認められなかったのだ。実際、後方で見ていたCさんもウィンカーをを出して右折する直前するまでのBさんの運転に関しては通常と異なる不審な運転は指摘していない。指摘しているのはすべてそれ以前のBさんの運転である。日本興亜は、Bさんがいきなり危険な右折をしてくる予兆なりを運転で示していたとでも言いたいのだろうか。注意義務も怠ってはいない。わき見運転もしていないし、Bさんの車には十分注意して通り過ぎたことはすでに書いた。

それでも私が「注意義務」を怠ったというのなら、どのような注意を払っていれば事故を防げたのか、(あるいは少なくとも事故の程度を減らすことができたのか)をきちんと述べるだろう。「ブレーキをかけることもできた」とか「クラクションを鳴らすこともできた」など予知能力を持つ超能力者でもない限り誰もやらない行動を挙げて話を済ませるなど、相手をばかにしている失礼な態度だとは思わないのだろうか。「私の過失」については日本興亜はこのような話しかしていないのだ。

 私にどのような過失があったかを指摘できないのなら、それを素直に認めるべきであって、頼りにしている「基準」と矛盾するのならその「基準」の方が間違っている、少なくとも今回のケースにはあてはまらないと判断するのが当たり前のことではないのか。


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